Freud quotidien

フロイトおよび精神分析をめぐるエッセー、スローリーディング、書評、試訳などなど

フロイトとエピジェネティクス?(その2)

 

 第一次世界大戦に出征した兵士らのみる外傷夢は、夢が願望の成就であるとのフロイト理論の妥当性を問いただした。

 

 そのときフロイトはみずからの夢理論を擁護すべくつぎのように推論した。

 

 すなわち、睡眠中に心のなかに生起することすべてが夢なのではない、と。

 

 この論理はすぐれてフロイト的である。たとえば、テレパシーの存在を正当化する際にフロイトが持ち出す理屈はこれとまったくおなじものである。

 

 この時期の理論的危機がフロイト理論の新たな転回を告げることになったとすれば、1897年における誘惑理論の放棄はフロイト理論の誕生を画するおなじような critical point (ことばのすべてのいみにおける)であったといってよい。

 

 この出来事がオイディプス・コンプレクスの発見につながったとは通説となっているところである。

 

 フロイト父親による誘惑を、現実に起きた出来事ではなく、幻想に帰すことを迫られる。

 

 このときいらい、精神分析は外的な現実ではなく「心的現実」を対象とするようになった。これもまた通説となっているところである。

 

 しかし、『幻想の起源』のラプランシュとポンタリスが指摘するように、「心的現実」とは外的現実に対置されるかぎりでの心のなかにしかない現実をいみしない。

 

 それは上のふたつの現実のはざまにあるもうひとつの「現実」である。

 

 フロイトは誘惑をいわばたんなる虚構に帰すことを放棄し、あくまでそれの「現実」に起きたことであることにこだわった。

 

 ユングが幻想の起源を元型という形而上学的実体にもとめたのにたいし、フロイトはこれをあくまで「現実」に基づかせようとした。

 

 個人史上の事実を系統発生的な事実のうちに移し替えることで、誘惑理論を“救済”しようとしたのである。

 

 これは「個人的な事実」を超えた「歴史的事実」であると『精神分析入門』のフロイトは呼ぶことになる。

 

 このときフロイトの射程にあったのは“事実”をこえた“真理”であろう。

 

 これはフロイト晩年の「歴史的真理」という観念へとつながっていく。

 

 「精神分析における構築の仕事」においても『モーセ一神教』においてもフロイトはそれを口にしている。

 

 妄想を真理と反するものとして退けるのではなく、妄想に宿る一片の真理を本質的なものとしたのだ。

 

 夢も妄想も、どんなに歪曲されていようとも真理に基づき、真理を内包している。

 

 ラカン的な真理もしくは現実界の観念はここからあと一歩である。

 

 フロイトにおける系統発生への言及が時代を追うにつれて減るどころか増えていることにふしぎはないのだ。