Freud quotidien

フロイトおよび精神分析をめぐるエッセー、スローリーディング、書評、試訳などなど

フロイト熟読玩味!:『快原則の彼岸』(1)

 

 フロイトのことばを逐語的にたどることによってその含蓄に分け入るこころみをスタートさせます。手始めに『快原則の彼岸』の冒頭を読んでみましょう。

 

 

In der psychoanalytischen Theorie 

 

精神分析の理論において

 

nehmen wir unbedenklich an, 

 

われわれはためらいなく仮定している

 

daß 

 

つぎのことを。

 

→「仮定すること」はすぐれてフロイト的な行為。vermuten という動詞が当てられることもあります。「ためらいなく」「仮定する」というのはあるいみオクシモロン的ないいかたととれないこともありませんね(これまたすぐれてフロイト的なあゆみです)。

 

 

der Ablauf der seelischen Vorgänge 

 

こころのもろもろの過程のなりゆきは

 

automatisch 

 

自動的に

 

durch das Lustprinzip 

 

快原則によって

 

reguliert wird, 

 

規制されていると。

 

 

→ seelisch という曲者の形容詞についてはアルーシュおよびベッテルハイムを参照のこと。フランス語版全集は animique としています。「過程」は「一次過程、二次過程」という術語をただちに想起させますが、「情動過程」「エネルギー過程」「興奮過程」といったコンテクストでも用いられます。

 

 

das heißt, 

 

つまり

 

wir glauben, 

 

われわれは信じている

 

 

→ glauben も曲者です。これについてはデリダの「フロイトについて:思弁する」にそくしてふたたびたちもどります。

 

 

daß 

 

つぎのように。

 

er 

 

それは

 

jedesmal

 

そのつど

 

durch eine unlustvolle Spannung

 

不快にみちた緊張によって

 

angeregt wird

 

始動し

 

 

→ anregen をフランス語版全集は mettre en mouvement としています。「うごき」というニュアンスを重視しているわけですね。

 

 

und dann 

 

それから

 

eine solche Richtung

 

以下のような方向を

 

einschlägt, 

 

とると。

 

 

→ 「道」にかんする語はフロイトにちかしいものです。(もちろんハイデガーにとっても。)一文めの Ablauf に仏語版全集は cours を当てています。

 

 

daß 

 

すなわち

 

sein Endergebnis 

 

それの最終結果が

 

mit einer Herabsetzung dieser Spannung, 

 

この緊張の減少に

 

also 

 

それゆえ

 

mit einer Vermeidung von Unlust 

 

不快の回避

 

oder 

 

あるいは

 

Erzeugung von Lust 

 

快の産出に

 

zusammenfällt.

 

一致するような[方向である]。

 

 

→ 前綴り her-、および「回避」というみぶりに着目しておきましょう。zusammenfallen はきわめて具象的なイメージにとむ語です。たしかジャン=ミシェル・レーとウラジミール・グラノフも『オカルトーーフロイト的対象』で問題にしていた記憶があります。

 

 (à suivre)