Freud quotidien

フロイトおよび精神分析をめぐるエッセー、スローリーディング、書評、試訳などなど

『メタサイコロジー論』熟読翫味(その1)

 

 十川幸司訳『メタサイコロジー論』(講談社学術文庫)が刊行されました。未完の「書物」というかたちでの初の訳出であり、しかも訳者はかの十川氏。フロイトの読者であれば舌なめずりして頁をめくりたくならないわけがありません。

 というわけで、十川氏のご訳業を参考にさせていただきつつ、この機会にメタサイコロジー諸論文を原語で精読してみることにしましょう。まずは巻頭に収録された『欲動と欲動の運命』の冒頭から。

 

 原題はTRIEBE UND TRIEBSCHICKSALE。いきなり超曲者の合成語(とりあえず複数形)。Schicksal はいうまでもなくアナンケもしくはテュケーというキーワードに送付されるべき語。Schicksalszwang、Lebensschicksale といったように Trieb 以外の語と合成されている用例もみつかります。岩波書店『全集』訳は「欲動運命」と合成語っぽく訳出していますが、十川訳はあいだに「の」という助詞を補っています。以下、本文です。

 

 

Wir haben oftmal 

 

わたしたちはたびたび

 

die Forderung

 

つぎのような要求が

 

vertreten 

 

述べられるのを

 

gehört, 

 

耳にしてきた

 

daß 

 

すなわち

 

eine Wissenschaft 

 

科学は

 

über klaren 

 

明確に

 

und scharf 

 

かつ厳密に

 

definierten 

 

定義された

 

Grundbegriffen 

 

基本概念の上に

 

aufgebaut sein soll.

 

打ち立てられなければならないと。

 

 

フロイトに近しい建築学的比喩がいきなり使われています。『全集』でも十川訳でも中山訳(ちくま学芸文庫『自我論集』)でも採用されている「構築[される]」の原語が konstruieren ではなく aufbauen であることに念のため注意を促しておきましょう。

 

 

In Wirklichkeit 

 

実のところは

 

beginnt keine Wissenschaft 

 

いかなる科学も始めていない

 

mit solchen Definitionen, 

 

そのような定義によっては。

 

auch die exaktesten nicht.

 

もっとも厳密な科学もそうではない。

 

→十川訳は beginnen の現在形を「始まったことはない」と過去形で訳しています。

 

 

Der richtige Anfang der wissenschaftlichen Tätigkeit 

 

科学的活動のじっさいの始まりが

 

besteht vielmehr 

 

存しているのはむしろ

 

in der Beschreibung von Erscheinungen, 

 

諸現象の記述においてであり

 

die

 

それらの現象が

 

dann weiterhin 

 

そのあとで

 

gruppiert, 

 

分類され

 

angeordnet 

 

整理され

 

und in Zusammenhänge

 

さまざまな関連のうちへと

 

 eingetragen werden.

 

書き込まれるのだ。

 

→ richtig を人文書院版『著作集』のように「正しい」ととるのは適切ではないですね。Tätigkeit を十川訳は「作業」としていますが、原語は Arbeit ではありません。Tätigkeit はフロイトにおいてはむしろ Aktivität と同義に用いられるようです。Aktivität はたとえば sexuelle Aktivität といった文脈で用いられています。Zusammenhänge をGesammelte Weke の索引は Denkrelationen(思考連関) に送り返しています。

 

 十川訳はたとえば『全集』訳にくらべるとかなりフロイトの文のながれに忠実です。以上に指摘した訳語の選択にかんしても、「諸論考を貫く論理とフロイトの思考過程を追うことだけに注意して」読み進める読者の妨げにはならないでしょう。(つづく)

 

 

 

フロイト書簡リスト(1909年)

 

 1909年のフロイトの主な往復書簡のリストです。

 

 この年フロイトはハンス症例を発表し、八月から九月にかけてユングフェレンツィとともにアメリカに講演旅行をしています。

 

 書簡の内容についてはブログ freudiana 2.0 (http://criticon.blog.fc2.com/)をご覧ください。 

 

 Letters of Sigmund Freud (1909)

 

 ABREVIATIONS     A : Abraham     F : Freud     Fer : Ferenzci     J : Jung     Pf : Pfister

 

 

01/01/1909 (F>Fer 27)

02/01/1909 (Fer>F 28)

04/01/1909 (Fer>F 29)

05/01/1909 (F>Binswanger 2)

07/01/1909 (J>F 124)

10/01/1909 (F>A 58)(F>Fer 30)

11/01/1909 (Fer>F 31)

12/01/1909 (A>F 59)

13/01/1909 (A>F 60)

17/01/1909 (F>J 125)(F>A 61)(F>Fer 32)(F>Binswanger 3)(Fer>F 33)

18/01/1909 (F>Fer 34)*(F>Pf 1)*

19/01/1909 (J>F 126)

20/01/1909 (F>Fer 35)(Fer>F 36)

22/01/1909 (F>J 127)

24/01/1909 (J>F 128)

25/01/1909 (F>J 129)

26/01/1909 (F>J 130)

28/01/1909 (F>Binswanger 4)

31/01/1909 (A>F 62)

01/02/1909 (F>A 63)

02/02/1909 (F>Fer 37)

04/02/1909 (Fer>F 38)

05/02/1909 (Binswanger>F 5) (E>F 7)

07/02/1909 (F>Fer 39)(F>Binswanger 6)(F>E 8)(Jones>F 7)

08~11/02/1909 (Fer>F 40)

09/02/1909 (F>Pf 2)

12/02/1909 (F>Fer 41)

14/02/1909 (A>F 64)

16/02/1909 (Fer>F 42)

17/02/1909 (Jones>F 8)

18/02/1909 (F>A 65) (Pf>F 3)

20/02/1909 (F>Pf 4)

21/02/1909 (J>F 131)

22/02/1909 (F>Jones 9)

23/02/1909 (Fer>F 43)

24/02/1909 (F>J 132)

27/02/1909 (Binswanger>F 7)

28/02/1909 (F>Fer 44) (F>Jones 10)

02/03/1909 (Fer>F 45)

05/03/1909 (A>F 66)

07/03/1909 (J>F 133)

09/03/1909 (F>J 134)

09/03/1909 (F>Fer 46) (F>A 67)

11/03/1909 (J>F 135) (Jones>F11)

17/03/1909 (J>F 136)

18/03/1909 (F>Pf 5)

19/03/1909 (F>Fer 47)

20/03/1909 (Binswanger>F 8)

21/03/1909 (J>F 137) (Fer>F 48)

23/03/1909 (F>Fer 49)

30/03/1909 (F>Pf 6)

02,12/04/1909 (J>F 138)

04/04/1909 (F>R 4)

07/04/1909 (F>Fer 50)(A>F 68)

08/04/1909 (Jones>F 12)

13/04/1909 (Binswanger>F 9)

16/04/1909 (F>J 139) (F>Binswanger 10)

18/04/1909 (Binswanger>F 11)

19/04/1909 (F>Binswanger 12)

21/04/1909 (F>Pf 7)[postcard] (Fer>F 51)

23/04/1909 (Binswanger>F 13)

25/04/1909 (F>Fer 52)

 ? / ? /1909  (F>Fer 53)

27/04/1909 (F>Fer 54) (F>Fer 55)(F>A 69)(Binswnger>F 14)

01/05/1909 (Fer>F 56)

02/05/1909 (F>Fer 57) (F>Binswanger 15)

05/05/1909 (F>Fer 59)(Fer>F 58)

07/05/1909 (Fer>F 60)

08/05/1909(Bleuler>F 16)

10/05/1909 (F>Pf 8)

12/05/1909 (J>F 140)

16/05/1909 (F>J 141)(A>F 70)

17/05/1909 (F>Binswanger 16)

18/05/1909 (F>Jones 13)(Fer>F 61)(Jones>F 14)

23/05/1909 (F>Fer 62) (F>A 71)

25/05/1909 (F>Binswanger 17)

01/06/1909 (F>Jones 15)

02/06/1909 (J>F 142)

03/06/1909 (F>J 143)

04/06/1909 (J>F 144)

06/06/1909 (Jones>F 16)

07/06/1909 (F>J 145)

10/06/1909 (Fer>F 63)

12/06/1909 (J>F 146)

13/06/1909 (F>Fer 64)(F>Pf 9)

15/06/1909 (A>F 72)

18/06/1909 (F>J 147)

21/06/1909 (J>F148)

28/06/1909 (F>Fer 65)

30/06/1909 (F>J 149) (Fer>F 66)

04/07/1909 (F>Fer 67)

07/07/1909 (F>J 150)

11/07/1909 (F>A 73)

12/07/1909 (F>Pf 10)

13/07/1909 (J>F 151)(A>F 74)

19/07/1909 (F>J 152)

22/07/1909 (Fer>F 68)

25/07/1909 (F>Fer 69)

03/08/1909 (Fer>F 70)

05/08/1909 (J>F 153) (Jones>F 17)

09/08/1909 (F>J 154)(F>Fer 71)

11/08/1909 (Fer>F 72)

16/08/1909 (F>Pf 11)

21/08/1909 (F>A 75)

01/09/1909 (F>Pf 12)[postcard]

01/10/1909 (J>F 155)

04/10/1909 (F>J 156)(F>Pf 13)

05/10/1909 (Fer>F 73)

06/10/1909 (F>Fer 74)

11/10/1909 (F>Fer 75)

14/10/1909 (J>F 157) (Fer>F 76)

16/10/1909 (Fer>F 77)

17/10/1909 (F>J 158) (Jones>F 18)

22/10/1909 (F>Fer 78)

23/02/1909 (F>Jones 19)

26/10/1909 (Fer>F 79)

30/10/1909 (Fer>F 80) (Fer>F 81)

31/10/1909 (F>Fer 82) (F>Jones 20) 

03/11/1909 (Jones>F 21) [postcard]

05/11/1909 (F>Pf 14)

07/11/1909 (Binswanger>F 18)

08/11/1909 (J>F 159) (Fer>F 83)

10/11/1909 (F>Fer 84) (A>F 76)

11/11/1909 (F>J 160)

12/11/1909 (J>F 161)

15/11/1909 (J>F 162)

20/11/1909 (Fer>F 85)

21/11/1909 (F>J 163) (F>Fer 86)

22/11/1909 (J>F 164)

23/11/1909 (F>A 77)

24/01/1909 (A>F 78)

30/11/1909 (A>F 79)

30/11~02/12/1909 (J>F 165)

01/12/1909 (Fer>F 87)

02/12/1909 (F>J 166)

03/12/1909 (F>Fer 88) (F>Binswanger 19)

07/12/1909 (Fer>F 89)

12/12/1909 (F>J 167) (F>Fer 90)

14/12/1909 (J>F 168)

14~30/12/1909 (E>F 9)

18/12/1909 (Fer>F 91)(Jones>F 22)

19/12/1909 (F>J 169) (F>Fer 92)

21/12/1909 (F>J 93)

22/12/1909 (A>F 80)

23/12/1909 (Bleuler>F 17)

25/12/1909 (J>F 170)

27/12/1909 (Fer>F 94)

28/12/1909 (F>Fer 95)

30/12/1909 (F>E 10)

31/12/1909 (F>Binswanger 20)

 

 

トランプとセラピストたち(続)

 

 アメリカの精神科医やジャーナリストが寄ってたかってドナルド・トランプの“狂気”の診断に余念がないとル・モンドが報じている。

 

 トランプ当選直後にそれぞれスタンフォード、カリフォルニア大、ハーヴァードの教授である三人の女性精神科医が「精神的不安定の症状」「誇大妄想、衝動性、拒絶反応や批判への過敏」「想像と現実の区別の明確な不可能性」との診断結果をバラク・オバマに送りつけたのが皮切り。

 

 この十一月にはワシントン・ポストがトランプが就任以来1,628におよぶ「虚偽もしくは誤った」発言をしたとのファクト・チェックの結果を公にし、その病的な「慢性的虚言癖」を指摘した。

 

 二月の「サイコロジー・ツデー」誌の記事では、二人の精神科医が「自己愛的な人格」「攻撃的ふるまい」「上から目線」「品のない誇張」「嘘」「脅迫」「嫉妬」「共感の欠如」「“オレ対ヤツら”的世界観」、「自信のなさ」を取り繕うための「自慢癖」といった諸症状を診断し、百万件のアクセスを記録。

 

 同月、ジョンズ・ホプキンス大の境界例の専門家は統治能力の欠如ゆえ合衆国憲法第4条25項に則ってトランプを罷免させよとの嘆願書をウェッブ上に出し、七万人近い賛同者の署名を集めるに至っている。

 

 こうしたうごきにたいしてはとうぜん、職業倫理に照らしていかがなものかと疑問視する声が同業者のなかからも上がっている(周知のとおりかの地には「ゴールドウォーター・ルール」という掟が存在する)反面、ぎゃくにトランプが「危険分子」であることを国民に警告することが医者の職業上の義務であるとの声も出て、侃侃諤諤の議論が沸き起こっている。

 

 十月に27名の専門家が上梓した論集『ドナルド・トランプのキケンな症例』においては、トランプの発言やツイートに「過激で暴走した現在(ママ)の快楽主義」が見てとられ、トランプじしんの幼児性(その性の観念も含めて)や「ソシオパス」ぶりが指弾されると同時に、その狂気の国民への感染が指摘されている。いわく、トランプの異常を正常だと思い込もうとする結果、アメリカ人のあいだに寛容と責任を欠いた非人間的な攻撃性が蔓延しているのだと。

 

 

フロイトとエピジェネティクス?(その2)

 

 第一次世界大戦に出征した兵士らのみる外傷夢は、夢が願望の成就であるとのフロイト理論の妥当性を問いただした。

 

 そのときフロイトはみずからの夢理論を擁護すべくつぎのように推論した。

 

 すなわち、睡眠中に心のなかに生起することすべてが夢なのではない、と。

 

 この論理はすぐれてフロイト的である。たとえば、テレパシーの存在を正当化する際にフロイトが持ち出す理屈はこれとまったくおなじものである。

 

 この時期の理論的危機がフロイト理論の新たな転回を告げることになったとすれば、1897年における誘惑理論の放棄はフロイト理論の誕生を画するおなじような critical point (ことばのすべてのいみにおける)であったといってよい。

 

 この出来事がオイディプス・コンプレクスの発見につながったとは通説となっているところである。

 

 フロイト父親による誘惑を、現実に起きた出来事ではなく、幻想に帰すことを迫られる。

 

 このときいらい、精神分析は外的な現実ではなく「心的現実」を対象とするようになった。これもまた通説となっているところである。

 

 しかし、『幻想の起源』のラプランシュとポンタリスが指摘するように、「心的現実」とは外的現実に対置されるかぎりでの心のなかにしかない現実をいみしない。

 

 それは上のふたつの現実のはざまにあるもうひとつの「現実」である。

 

 フロイトは誘惑をいわばたんなる虚構に帰すことを放棄し、あくまでそれの「現実」に起きたことであることにこだわった。

 

 ユングが幻想の起源を元型という形而上学的実体にもとめたのにたいし、フロイトはこれをあくまで「現実」に基づかせようとした。

 

 個人史上の事実を系統発生的な事実のうちに移し替えることで、誘惑理論を“救済”しようとしたのである。

 

 これは「個人的な事実」を超えた「歴史的事実」であると『精神分析入門』のフロイトは呼ぶことになる。

 

 このときフロイトの射程にあったのは“事実”をこえた“真理”であろう。

 

 これはフロイト晩年の「歴史的真理」という観念へとつながっていく。

 

 「精神分析における構築の仕事」においても『モーセ一神教』においてもフロイトはそれを口にしている。

 

 妄想を真理と反するものとして退けるのではなく、妄想に宿る一片の真理を本質的なものとしたのだ。

 

 夢も妄想も、どんなに歪曲されていようとも真理に基づき、真理を内包している。

 

 ラカン的な真理もしくは現実界の観念はここからあと一歩である。

 

 フロイトにおける系統発生への言及が時代を追うにつれて減るどころか増えていることにふしぎはないのだ。

 

 

フロイト熟読玩味!:『快原則の彼岸』(1)

 

 フロイトのことばを逐語的にたどることによってその含蓄に分け入るこころみをスタートさせます。手始めに『快原則の彼岸』の冒頭を読んでみましょう。

 

 

In der psychoanalytischen Theorie 

 

精神分析の理論において

 

nehmen wir unbedenklich an, 

 

われわれはためらいなく仮定している

 

daß 

 

つぎのことを。

 

→「仮定すること」はすぐれてフロイト的な行為。vermuten という動詞が当てられることもあります。「ためらいなく」「仮定する」というのはあるいみオクシモロン的ないいかたととれないこともありませんね(これまたすぐれてフロイト的なあゆみです)。

 

 

der Ablauf der seelischen Vorgänge 

 

こころのもろもろの過程のなりゆきは

 

automatisch 

 

自動的に

 

durch das Lustprinzip 

 

快原則によって

 

reguliert wird, 

 

規制されていると。

 

 

→ seelisch という曲者の形容詞についてはアルーシュおよびベッテルハイムを参照のこと。フランス語版全集は animique としています。「過程」は「一次過程、二次過程」という術語をただちに想起させますが、「情動過程」「エネルギー過程」「興奮過程」といったコンテクストでも用いられます。

 

 

das heißt, 

 

つまり

 

wir glauben, 

 

われわれは信じている

 

 

→ glauben も曲者です。これについてはデリダの「フロイトについて:思弁する」にそくしてふたたびたちもどります。

 

 

daß 

 

つぎのように。

 

er 

 

それは

 

jedesmal

 

そのつど

 

durch eine unlustvolle Spannung

 

不快にみちた緊張によって

 

angeregt wird

 

始動し

 

 

→ anregen をフランス語版全集は mettre en mouvement としています。「うごき」というニュアンスを重視しているわけですね。

 

 

und dann 

 

それから

 

eine solche Richtung

 

以下のような方向を

 

einschlägt, 

 

とると。

 

 

→ 「道」にかんする語はフロイトにちかしいものです。(もちろんハイデガーにとっても。)一文めの Ablauf に仏語版全集は cours を当てています。

 

 

daß 

 

すなわち

 

sein Endergebnis 

 

それの最終結果が

 

mit einer Herabsetzung dieser Spannung, 

 

この緊張の減少に

 

also 

 

それゆえ

 

mit einer Vermeidung von Unlust 

 

不快の回避

 

oder 

 

あるいは

 

Erzeugung von Lust 

 

快の産出に

 

zusammenfällt.

 

一致するような[方向である]。

 

 

→ 前綴り her-、および「回避」というみぶりに着目しておきましょう。zusammenfallen はきわめて具象的なイメージにとむ語です。たしかジャン=ミシェル・レーとウラジミール・グラノフも『オカルトーーフロイト的対象』で問題にしていた記憶があります。

 

 (à suivre)

 

 

フロイトのドイツ語(その1)

 ヴァルター・ムシュクの Freud als Schriftsteller (Kindler, 1975) 以来、フロイトのドイツ語についてはすくなからぬ書が書かれている。

 

 そのうちベッテルハイム『フロイトと人間の魂』(Freud and Man’s Soul, Knopf, 1983)、マホーニ『フロイトの書き方』(Freud as a Writer, Yale University Press,1982)はさいわいなことに邦訳がある。

 

 前者はストレイチーらによるスタンダード・エディションの翻訳を批判する立場から書かれた名著。

 

 後者は日本語訳が生硬すぎてリーダブルとはお世辞にもいえないが、フロイトの症例研究についてめざましい仕事を残している著者によるもので、デリダ派のレトリカルなフロイト論をふまえており、それぞれ有益である。

 

 ひかくてきさいきんのものでは、フランスのドイツ系作家アルテュール・ゴルドシュミドによる Freud et la langue allemande (Buchet Chastel, 2006)という2巻本があるが、いかんせんフロイトを読み込んでいる形跡がなく、おまけに繰り返しが多くて芸がない。Quand Freud voit la mer と題された一巻めでは動詞の前綴りのニュアンスを駆使した視覚的で空間的な言語感覚を論じ、 二巻めの Quand Freud attend le verbe では、タイトルどおり、文末に動詞が来て文が完結するまでの揺らぎとサスペンスにみちた構文を論じている。

 

 L’écriture de Freud (PUF, 2003) の著者ジャニーヌ・アルトゥニアンはフランス語版フロイト全集(PUF)の翻訳者のひとりで、既存のアバウトきわまる仏訳と照らし合わせながらフロイトのドイツ語の含蓄に分入っている(ベッテルハイム本からの影響が伺える)。

 

 その内容の一端をみてみよう。

 

 たとえばまず挙げられるのは、

 

 Seelenapparat

   Seeleninstrument

   Kotsäule

   weibliche Geschlechtsglied

 

といった術語である。

 

 これを appareil  psychique, instrument psychique, bol fécal, organe sexuel féminin と訳しては元も子もない、と著者は言う。

 

 これらの術語に見てとるべきは、「医学と文学の並置」である。

 

 appareil d’âme, instrument d’âme, colonne d’excrément, membre sexué féminin と訳すことによってそのニュアンスがより伝わるであろう(colonne d’excrément のファリックな含意に至るまで。)

 

 Seele という語についてはジャン・アルーシュの La psychanalyse est-elle un exercice spirituel? : Réponse à Michel Foucault (E.P.E.L., 2007) が刺激的な考察を加えている。あわせて参照のほどを。

 

 (à suivre)

 

 

ラカン派の「魔女」狩り?:反MLP(ルペン)キャンペーン続報

 

 フランス大統領選の第一回投票まで残すところ三週間。ラカン派(ECF)の反マリーヌ・ルペンMLP)キャンペーンがつづいている。

 

 ある調査によれば、「幸福度」が低い層ほどMLPを支持する傾向にある。このランキングにおいてメランションはその後塵を拝し、容易に察せられるように、エリート臭ふりまくマクロンは最下位に位置している。

 

 各種事前調査ではMLPとマクロンの得票率は伯仲しているが、MLPには長年の確固たる支持者が多く、ぽっと出のマクロンにはどっちつかずの消極的な支持者が多いことがはっきりしている。

 

 懸念される大量の棄権票はとうぜんのことMLPを利する。

 

 というわけで、端から眺めているかぎり、MLPが圧倒的なアドヴァンテージを有しているようにしかみえないのだが、多くのフランス人は最終的に共和主義者連合がポピュリスムを蹴散らすと楽観しているらしい。

 

 一部の楽観派からパラノイア扱いさえされている悲観論者ジャック=アラン・ミレールは、ここ数日、Lacan quotidien 紙上で Journal Extime と銘打った「自動筆記式」の手記をやけっぱち気味にえんえん垂れ流している始末。

 

 同紙には連日、FN(国民戦線)をいわば re-diaboliser(dé-dédiaboliser?)しようと躍起になるスローガンが踊る。

 

 アニェス・アフラロによれば、MLPは「よき母の仮面をかぶった死の欲動」である。

 

 アフラロによればEUは、第二次大戦における同胞どうしの(fraternel)殺戮の再現を防ぐべく創設された「妥協形成」であり「症状」である。

 

 MLPはその創設者たる「父」らの遺産を破壊し、欧州をふたたび死の欲動の餌食に供さんとしている。

 

 クリスティアーヌ・アルベルティの「精神分析はFN的言説の真逆である」という記事は、「無意識とは政治である」とのラカンの発言を想起しつつ、人目がシャットアウトされる投票所のカーテンの中では投票者の無意識が露になるとする。

 

 ところで、臨床が教えるところによれば、憎悪は人間のもっとも根本的な情熱である。

 

 それゆえMLPとの戦いは、なによりもこの内なる憎悪との戦いというかたちをとる。

 

 おもしろいことに、「内なる敵」とはMLPじしんがつかっているレトリックでもある。

 

 ピエール・ナヴォーによれば、「矛盾の操作のエキスパート」たるMLPは、「移民(immigration)に対抗する解決策はFNだ」と主張するいっぽうで、奇妙にも「敵は移民(migrant)ではない。……敵はわれわれのなかにいる」とも述べている。

 

 このばあいの内なる敵とは、移民の人身売買を促す「ラディカルな個人主義」ということになるらしいのだが(それゆえ敵は単数形の移民ではなく、複数ないし総称としての移民である)、この修辞を以てナヴォーはMLPは「推論を憎悪している」とその蒙昧主義を告発している。

 

 マリー=エレーヌ・ブルースはMLPの右腕(FN副党首)フロリアン・フィリポのツイートを引いてFN的修辞を分析している。

 

 くだんのツイートにいわく、「愛国者の友たちよ、あと数週間でわれわれは<システム>のバスティーユを陥落させることになるだろう。この<システム>こそフランスに対する最後の攻撃を仕掛けている張本人だ」。

 

 ちなみに「システム」とはFNのジャーゴンのひとつであるが、ブルースによれば、この語が指し示しているのは、現体制の共和的民主主義体制そのものである。

 

 FNは共和制を攻撃するためにとうの共和制をもたらしたフランス革命のイコノグラフィーを「横領」している。このように、ジャンヌ・ダルクからドゴールにいたるまでの「国民的シニフィアンの恥ずべき横領」がFN的修辞の常套手段となっている。

 

 「ルペンの娘たち[とりあえずMLPおよび姪マリオン・マレシャル=ルペンを指す]は三色旗で仕立てた演説用の晴着をまとってテレビ局や集会にお目見えする。かのじょらが国旗をまとうのは、熱に浮かされた内戦への呼びかけを隠すためである。かのじょたちは国民を誘拐し、二重の鍵でじぶんたちのあばら屋に幽閉し、その身替わりとして怪物的な分身を送り込む」。

 

 さしずめ反共映画『ボディー・スナッチャー』のイメージか?

 

 くだんのツイートに言う「友」とは「敵」を前提にした呼びかけであり、かれらのつかう「われわれ」ということばもまたつねに「あいつら」とセットになっている。

 

 FNは恐怖と憎悪のせいで réel なるもの(それは変化、新しさ、予期できないもの、不連続という相において現れる)を直視し得ないでいる。

 

 そのかぎりでFNはISとパラレルである。荒廃した郊外で「行き場をなくした若者たち」がドラッグとISに吸い寄せられているのとどうように、「フランスの静かな田園地帯」では若者のFNへの加入が増加している。

 

 ユダヤ人を殲滅したナチスが最終的にドイツ人じしんの殲滅に至ったように、他者への憎悪は自己への憎悪という帰結を招く。

 

 精神分析によって「<主人>の言説の無意識」を明るみに出すひつようがある、とブルースは結んでいる。