ラカン的真理とトランプ的真理
Lacan Quotidien n°610 (2016年11月17日) においてアリス・ドゥラリュが指摘しているように、トランプのことばは自己検閲を逃れ、侮辱や憎悪が言表行為のレベルにとどまることなく言表のレベルにダイレクトに現れている。
The art of deal(邦訳『トランプ自伝』)のなかでトニー・シュウォーツはトランプのこうした文体を「真実味のある誇張法」(hyperbole véridique)と名づけている。
トランプじしんが「プレイボーイ」のインタビューでこう語っている。「おれはなにが売れるか、ひとがなにをほしがっているかをしってるぜ。おれはそれを真実味のある誇張法とよんでいるんだ。つみのない誇張のことさ。で、これが商売のじつに有効なテクニックなんだ」。
大統領上級顧問におさまったスティーヴン・バノンを主幹とするブライバート・ニュースもこの文体を操っている。
ドゥラリュはこの文体を「反論を許容せぬ非対話的な(non-dialectique)宣告であり、議論の余地なき全体的なひとつの真実」とパラフレーズする。
これは mi-dire としてのラカン的 vérité とは異質なものである。
「真理をはっきりと口にするのをさまたげるのは検閲ではない。真理は禁じられたものではないのであって、行間においてのべられるのが真理の構造そのものなのだ」(ジャック=アラン・ミレール)。
トランプ的言説は憎悪から身を守るための「羞恥する能力」(ミレール)をふみにじる。
同じ号のロラン・デュポンによれば、トランプの勝利とは「羞恥の死の勝利」にほかならない。